ノーキー80歳記念アメリカツアー 【紀行文 3 ナッシュビル】

ナッシュビルはテネシー州ではメンフィスに次ぐ2番目に大きい都市です。

テネシーはチェロキー語で"曲がりくねった川"の意味です。
ゴールドラッシュ時代に金鉱などがあったため、東部のアパラチア山脈近郊に住んでいたインディアン(チェロキーなど)は白人に追われ、西のオクラホマ、アーカンソーやテネシーに移動してきました。
1839年に行われたインディアン強制移動は後に"涙の道(Trail of Tears)と呼ばれ、4000人以上のインディアンが亡くなりました。

ノーキーが生まれ育ったオクラホマは祖先が強制移動させられた町で、ノーキーが幼少の頃にはさらに白人の迫害が進み、太平洋戦争の頃にはエドワーズ家は銃で家を追われワゴンに10人以上の家族全員が乗り込み西へ西へと逃げることになりました(その時の苦労話が自叙伝で詳しく書かれています)。

また、ナッシュビルは明治維新の頃に起きた南北戦争の激戦地としても知られています。
チェットアトキンスの2曲奏法はこれに因んだものです。

かつてエルカミーノに指のリハビリのため毎週こられていた故成毛滋さんが漫談を交えチェットのように演奏してくれたことが思い出されます。
この映像をYouTubeで発見しましたので一度ご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=INiW9pg4LKU

音楽の歴史としては、1925年に"グランド・オール・オプリ(The Grand Ole Opry)"が開幕されカントリーミュージックの発祥地として今日に至っています。

"グランド・オール・オプリ"は全米で最初に実況ライブがラジオ放送で流された歴史あるホールです(昨年はケリー・マークスが出演する日に、バックステージに招待され舞台裏を紹介してもらいました)。
昨年脳卒中により94歳で亡くなった最古参の常連リトル・ジミー・ディケンズ(Little Jimmy Dickens)の演奏をバックステージから覗かせてもらいました。

ダウンタウンには200ものライブハウスが大通りに対峙して軒並び、どの店でも朝からバンド演奏が行われ、各州から来たお客さんもギッシリ詰寄せています。

レコーディングスタジオもたくさんあり、マーク・モズレー(セミー・モズレーの甥)のスタジオも近くにあります。
ここでノーキーさんが毎年録音します。
昨年は"日本の叙情曲"のレコーディングに立会いました。